藤原道長

  • 京都時代MAP 平安京編
  • 藤原道長「御堂関白記」 上  全現代語訳 (講談社学術文庫)
  • 藤原道長「御堂関白記」 下 全現代語訳 (講談社学術文庫)

藤原道長についての解説記事(紹介記事)

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藤原道長を含むブログ記事

黒田裕樹さん
  • 武士団の成長と源氏の進出 その1
  • )を失脚(しっきゃく)させた功績によって摂関家に接近しました。源満仲の子のうち、源頼光(みなもとのよりみつ)は各地の国司(こくし、別名を受領=ずりょう)を歴任し、その際に蓄(たくわ)えた財産を利用して藤原道長(ふじわらのみちなが)の側近として仕えることによって、武家の棟梁(とうりょう)としての地位を高めました。そして、頼光の弟にあたるのが、平忠常の乱を鎮圧した源頼信でした。忠常の反乱によって平氏の勢力が衰...
  • 黒田裕樹の歴史講座黒田裕樹さんのプロフィール
上海ワルツさん
  • 1000年前の日本人と会話が出来るか?
  • 。10人の言葉の前にまず私は言葉が聞き取れないに違いない(笑) さてどこが境界線かはさておき、今からちょうど1000年前というテーマに絞って考えると当時は平安時代真っ只中で、俗に言う摂関時代である。 藤原道長などが巾を利かせていた時代であり、この頃すでに表音文字としての「かな」は完全に独立していたようである。 かな一つ一つの発音は今と違っている面もあるようだが、当たらずとも遠からじで文章を読む発声の範囲で...
  • 上海ワルツ上海ワルツさんのプロフィール
瑞希さん
  • 京都 平等院 鳳凰堂 講話と散策 その1
  • 宇治駅で下車しました。平等院へ行くまで10〜15分くらいの途中に宇治橋を通りかかりましたそのすぐ右近くに、あの『源氏物語』で有名な「紫式部」の銅像がありました後ろに見えるのが「宇治橋」です。紫式部は、藤原道長の娘彰子に女房として仕えていた方です。世界に誇る長編小説『源氏物語』を書いたのは、平安時代の半ばの1000年頃であったと言われています。54帖のうち44帖までは、光源氏を主人公に、華やかな宮廷での恋愛...
  • 日次記(ひなみのき)瑞希さんのプロフィール
初穂さん
  • 大鏡“雲林院の菩提講”
  • ちの姿だなあと見ておりますと、老人たちは互いに笑って、顔を見合わせて言うには、(世継)「長年、昔の知人にお目にかかって、何とかして見たり聞いたりした世間のことも、お話しし合いたい、この現在の入道殿下〔藤原道長〕のご様子をも、お話しし合いたいと思っておりましたが、本当にまあうれしくもお会い申し上げたことですねえ。今こそ安心して冥途にも行けるというものです。心に思っていることを言わないでいるのは、なるほど腹の...
  • ECO LIFE...初穂さんのプロフィール
初穂さん
  • 大鏡“南院の競射”
  • て、こと苦うなりぬ。父大臣、師殿に、「何か射る。な射そ、な射そ」と制したまひて、ことさめにけり。◆現代語訳◆ 藤原伊周公が(父藤原道隆公の二条邸内の)南院で、人々を集めて弓の競射を催されていたときに、藤原道長公がふらりと御出席なさいましたら、思いもよらず不思議 なことだと、関白道隆公は思い驚かれて、たいそうご馳走をなさって、道長公は伊周公より地位が低いお方でし たけれど、伊周公の前の順番になさって、道長公...
  • ECO LIFE...初穂さんのプロフィール
ひみこさん
  • 学校と城
  • ったので見学していたら、元クラスメートがいました。以前はひみこと同レベルだったのに立派なワンコに成長していました。今度は笠間城にやって来ました。城の由来が書いてありました。笠間城は、藤原道兼(御堂関白藤原道長の同母兄)の末裔とも、古代豪族の下毛野氏の末裔ともいわれる笠間時朝により鎌倉時代の初期に築城された山城で、関東では珍しい石垣のお城です。by ひみパパなかなか立派な石垣が残っておりました。現在では天守...
  • 豆柴ひみこ。ひみこさんのプロフィール
大和国コクジン衆チームさん
  • 永豊寺釈迦如来坐像3
  • なったのかはよく分からないが、像の独特の相貌表現のなかに鮮やかな造形表現への情熱的な指向を感じ、素晴らしいものだと感動したことは忘れられない。  永豊寺釈迦如来坐像は、時期的には寛弘四年(1007)の藤原道長の金峯山参詣以後、吉野地域における拠点寺院群の成立以降の造立になると推定される。長和二年(1013)の興福寺薬師如来坐像より進んだ表現を示すことから、上限を長和二年とする十一世紀前半期と仮定出来る。定...
  • 奈良55チャンネル大和国コクジン衆チームさんのプロフィール
MIHOさん
  • 天橋立国際シンポジウム2
  • さて、「天橋立国際シンポジウム」の続きのお話です。京都造形芸術大学教授 仲隆裕氏は「平安時代の藤原道長の邸宅や江戸時代の桂離宮など、天橋立は、どんな時代でも、多くの芸術家や文人が訪れて、それをモチーフに、またインスピレーションを受けて、様々な芸術作品として残されてきた。多くの影響を与えてきた点から、天...
  • 京都・天橋立×しらたんMIHOさんのプロフィール
黒田裕樹さん
  • 国風文化 その8
  • 厄の原因が(自身たちの政治にあるとは思わずに)末法の世に向かいつつある世情(せじょう)にあると信じて、競って寺院の建立(こんりゅう)や仏像の造立(ぞうりゅう)を行いました。当時の代表的な寺院としては、藤原道長(ふじわらのみちなが)による法成寺(ほうじょうじ)や、藤原頼通(ふじわらのよりみち)による平等院(びょうどういん)などがあります。このうち、平等院の一部である鳳凰堂(ほうおうどう)は、10円玉に描かれ...
  • 黒田裕樹の歴史講座黒田裕樹さんのプロフィール
まほろばさん
  • 真如堂
  • そりとしているのですよ。   以前働いていた病院から徒歩5分くらい。毎年、毎年患者さんと紅葉狩りに行った思い出のお寺。とても懐かしいのです。   三重の塔です。真如堂の願主は一条天皇の母「藤原詮子」、藤原道長の姉です。本堂の南には春日局が植えた桜もあります。結構、有名人ゆかりのお寺なのですよ。   参道も紅葉すると赤、一面になるのです。...
  • こりとりふぁーむサンシ河芸店  ほっこり日和まほろばさんのプロフィール