坐禅を含むブログ記事
再び坐禅について 08/10/03 00:59
昨日のブログでは、U理論が仏教の考えを用いること、坐禅に興味をもっていることを話した。昨日のブログはここから以前から、坐禅には少し興味をもっていた。そのきっかけは、TBSラジオが提供する「サイエンス・サイトーク」というPodcastingを聞いてからであ... 成功までのビジネス読書日記 |
|
なんちゃって瞑想・・・ 08/10/02 23:21
[ 迷走は瞑想で。。。vol 2♪ ] (確か去年の今頃も、このテンプレートだった・・・) (だから、何だというわけでもないが・・) 何か、「瞑想」と書くと 坐禅を組んで、マントラ(心でつぶやく呪文のようなもの)を 唱えて、と思われがちですが、 私の場合、そういうことをしたことはほとんどない。 (興味本位でやってみても、何かやめてしまう・・・) もともと、... ・・・ 空と太陽の 戯れ ・・・ |
|
ZEN:緊張と弛緩のバランス(西嶋老師) 08/10/02 21:53
、栃木県大中寺において澤木興道老師と相見。1973年12月、大本山永平寺第77世貫首丹羽廉芳禅師のもとで出家、法名愚道和夫。曹洞宗宗寿寺住職。著書『現代語訳正法眼蔵』『正法眼蔵提唱録』『世界と仏道』『坐禅のやり方』『愚道老人仏教問答』『サラリーマンのための坐禅入門』『学道用心集講話』『人も企業もバランスが命−正法経営のすすめ』『中論改訂版』(金沢文庫)その他多数。ドーゲンサンガ コメント ( 0 )... ふるやの森 |
|
[文化芸能]憧れの地日本を海外発信する観光庁に 08/10/02 14:08
ーを設けて、動画で発信するのが効果的ではないだろうか。 [顧客・再訪者作り] ◎リピーター(顧客・再訪者)作りが基本姿勢である。再訪者には、物作りなどをする「実体験型」を勧めたい。お寺などでの坐禅など、日本の精神性を期待する旅行者もいる。 [実体験型] ◎最近、修学旅行などでは、「観光型」から「実体験型」へと移っている。私の息子(現在ではもう27歳ですが)も北海道で、酪農をする農家への... 真 夢人日記 |
|
成功法則を読む(12)−U理論を使う。 08/10/02 01:03
腑に落ちるところがでてきた。U理論で提唱するようなプロセスは、抽象的であり、即応用できるものではない。ただ、この本の特徴として面白い点は、仏教の考え方に近いということである。それをヒントにし、手始めに坐禅を始めようかと思っている。ちなみに、U理論に関しては、著書が出版されるようである。翻訳が待たれる。Theory U: Learning from the Future As It Emerges (B... 成功までのビジネス読書日記 |
|
信心銘 08/10/01 21:32
今日の坐禅クラブで、「信心銘」が配布されました。今後、一語一語味わい乍、クラブ員一同が、「信心銘」から学んで行きます。そこで、以下のサイトの既刊54回の「信心銘」の解説を、参考に完読致しました。「信心銘」を読む... Yahoo!ブログ - 末日聖徒のいい夫婦の活動 |
|
いよいよ10月! 08/10/01 12:43
antes FoundationMonthly Dialog Oct 18: Awareness, Insight, Transformation10:00 am - 12 noon という訳で今月は坐禅会レポートはありません。ああ、でもロサンゼルス禅センターに行くからそれはあります。6日から11日までは摂心で休みのようですので、翌週以降でしょうか。先月の残りの法話まとめはやるかもしれませんが、本をま... たけさんの坐禅体験記 |
|
早起きについて考える 08/10/01 07:52
『正法眼蔵随問記』の解説などを聞いていると、道元禅師が天童山にて修行されているころは、夜の10時まで坐禅し、翌日は午前2時に起きて坐禅が始まったという。現代医学の観点からいえば、恒常的な寝不足ということになろうかと思うが、それほどまでに凄まじい坐禅修行であったと言わざるを得ない。また、現代人の感覚からい... 坐禅 悟り サラリーマンは仏になれるか |
|
十月一日 開炉の日 08/10/01 06:30
まり、道元禅師が弟子達に対して最初に行った「開炉の上堂」ということになるでしょう。この「開炉」というのは、修行僧達が暖を採り、円滑に修行を行うために必ず為されなくてはならないことです。例えば道元禅師は坐禅の要術として、以下のように示しておられます。参禅は坐禅なり。坐禅は静処よろし。坐蓐あつくしくべし。風煙をいらしむることなかれ、雨露をもらしむることなかれ。〈中略〉坐処あきらかなるべし、昼夜くらからざれ... つらつら日暮らし |
|
鉄鼠の檻 08/09/30 11:57
、そんなことを一切意識せず、自分と世界との境界線も存在せず、そのもの全てを無くしてなお存在する自分と世界。そこに至って、凡ては「無」である・・・・・・。 そもそも「個人的認識」の世界だ。悟りと修行(坐禅)は同じ文脈の中に存在するものであり、切り離して論じることはできない。麻薬で得られる幻覚、忘我状態に類似した「生理的効果」がもたらされ、それらを「受け流し」てこそ初めて修行が成立する。そこには何ら、科... バベルの本箱 |
|





