藩主を含むブログ記事
北信濃へ その8 松代・続 08/08/28 14:21
の特別拝観もしているとのこと通常拝観300円に加え追加で500円なんですけど「特別」に惹かれてしまい「じゃぁお願いします」ちょうど私の前に来ていた人と一緒に案内のお坊さんに連れられ本堂の裏手へ初代松代藩主真田信之の御霊屋(みたまや)重要文化財にも指定され、以前は予約しないと見せてもらえなかったんだそうです鮮やかな装飾が施されとにかく立派の一言そして左甚五郎伝の鶴の彫刻昭和になって解体修理したものなので... 旅の記憶 |
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南部曲がり家 旧菊池家 08/08/28 10:28
岩手県遠野市にある伝承園に行って来ました。ここはカッパ伝説で有名なカッパ淵近くにあるせいか、観光客が多かったです。岩手の古民家と言えば「南部曲がり家」が有名です。「南部」とは旧南部藩のことで、藩主の苗字です。「曲がり家」とは写真のようにL字型に折れ曲がった住宅のことで、その多くは母屋に対して馬屋が突き出した形になっています。もちろん、曲がっていない古民家もあるようなのですが馬と共に暮らし、馬を... のんびり田舎暮らし♪ |
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萩博物館に長州砲が里が里帰り 08/08/28 09:18
州藩は京都へ派兵するが敗北(禁門の変) このころ、イギリスに留学していた長州FIVEの一人 伊藤博文は下関攻撃が近いと聞かされ帰国 イギリスの技術力には勝てないと確信6月10日 横浜にて、藩主を説得すると先方に説き了承 するが、藩では強硬論が強く、徒労となるそのころ 長州藩は下関を守っていましたが、禁門の変 で弱くなっていました8月 砲撃 図らずも敗北しました 講和... 山口県萩市から世界に情報発信 |
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国連の松の廊下 08/08/28 06:12
mあり、本丸御殿の大広間から将軍との対面所である白書院の間にあった。廊下の襖(ふすま)に松と千鳥の絵が描かれていたことから松の廊下といわれたという。元禄14年(1701年)3月14日午前10時頃、赤穂藩主の浅野内匠頭長矩がこの廊下で吉良上野介義央に斬りつけたのは、忠臣蔵でご存知のことだ。この松の廊下刃傷事件からさかのぼること16年、貞享2年(1685)年にその赤穂に10年間流されていた儒学者・山鹿素行... 水鑑 |
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名仏いろいろ(5)大願寺の焼けずの観音&おちゃめ庚申 08/08/28 06:00
で、8/13に宇陀松山を訪ねた折に立ち寄ってみた。広い道路から1本入っただけなのに、一転して閑寂な雰囲気が漂う。うっそうとした木々に囲まれた山門には、「薩(さった)山」の文字が見える。宇陀松山藩第4代藩主・織田信武の直筆だそうだ。門をくぐると、正面に毘沙門堂(室生山の大杉で彫った毘沙門像を祀る)、右手に本堂が目に入る。ここに観音さまがお祀りされているのだ。寺務所に声をかけると自由に参拝して良いとのこと... 日々ほぼ好日 |
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【映画】蛇姫様 08/08/27 18:13
第」「藩を救うためには、多少の危険をおかしても止むを得ません」と、まったく聴く耳を持ちません。さらに琴姫が、幕府の隠密が入っていると言っても、恐れ入るどころか、かえって姫をあざ笑う始末です。どうして、藩主の名代の姫に、家老はこんなにデカイ態度を取れるのか。映画では、その理由について、こまかく描写されませんが、どうも密貿易がらみのようすです。恐らく、財政欠乏の時に、家老に命じて一度だけ密貿易をさせた。と... いくらおにぎりブログ |
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知っていますか?吉宗の植えた松を 08/08/27 17:52
尾鷲市三木里海岸に紀州藩5代藩主・徳川吉宗が、正徳2年(1722年)に防風林として植林させた松で、現在周囲4m以上になっている。しかし松くい虫の被害をうけて十数本が伐採され、その伐採された1本を輪切りにした衝立が中央公民から飾られて... ナンちゃんが駈ける! |
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酒井 忠解 08/08/27 09:21
酒井忠解は最初で最後の出羽国大山藩の藩主【徳川四天王】及び【徳川十六神将】の筆頭として有名な酒井忠次の曾孫w'''寛永20年(1643年)に初代庄内藩主酒井忠勝の7男として誕生しますw''&... 『母を訪ねて3000円』 |
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良寛の心こと 08/08/27 05:11
書きしてみたのだが・・・。むかしむかしある所に(とは言っても越後の国は国上山五合庵)、それはそれは偉い偉いお坊様(とは言ってもいわゆる良寛様)がおったそうな。あるとき麓の国のお殿様が(とは言っても長岡藩主牧野忠精公)、城下にお寺を建ててそのお偉いお坊様を住職に迎えようと手紙を書いたそうな。しかし、そのお偉いお坊様は、なかなか「うん」とは言わなかったそうな。どうしてもそのお偉いお坊様を住職に迎えたいお殿... キリギリス |
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●戦国武将列伝● 08/08/26 23:34
。戦後の論功行賞で津軽家は、両軍生き残り策を取った事で加増は少なかったらしいけど、真田家に対するようなお咎めは無かったみたいですね…!その後まず長男・信建が、次いで父・為信が亡くなり、三男・信牧が弘前藩主となるのですが、辰姫は信牧の室となり、そこから代々弘前藩主が続いてゆき、重成の長男は、津軽信牧の娘を妻として弘前藩の家老職につき、その後子々孫々、弘前藩の重臣として続いたという事で、遠い北の地で石田の... なんかもうとりあえず戦国 |
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