北条氏政を含むブログ記事
二代目の悲哀(4)【今川氏真】 09/07/03 00:53
ての今川家を滅亡させてしまった愚かな武将としてたくさんの逸話が伝えられていますが、結局のところ彼も、他の二代目と同様、時代の巨大な流れに抗しきれませんでした。ただ、私の勝手なイメージですが、武田勝頼や北条氏政と比較して、「仮に彼が当主でなくても同じ道を辿ったでしょう」感が乏しいかな・・・。義元が討たれなければ、戦国史は大きく変わっていたでしょうね、やっぱり。上杉氏、武田氏、後北条氏、今川氏・・・。戦国時代... おやじの雑感 |
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北条早雲が晩年を過ごしたお城 〜 韮山城 〜 09/07/02 22:09
山城の模型があるそうなので、事前に訪れるのが良さそうです。1590年(天正18年)の豊臣秀吉の小田原征伐の際にはこの韮山城は、蜂須賀家政、前野長康ら4万4千人の豊臣の軍勢に攻めかかられたそうです。、後北条氏政の弟、後北条氏規が城主として、100日間の籠城戦を戦い抜いたそうです。韮山城は思っていたよりも規模が小さく、箱根の山腹にある山中城よりも小さなお城です。山中城がわずか半日で落城してしまったのに比べこの... ShaneのさまよいBlog |
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二代目の悲哀(3)【北条氏政】 09/07/01 23:36
偉大な父親を持った戦国大名の第3回目は、北条氏政です。・・・と書いてしまいましたが、正直に白状すると、この氏政と、次回書こうと思っている今川氏真に関してはあまり知識が無く、今いろいろと勉強中なんです(勿論、景勝や勝頼のことだって中途半端ですが)。素... おやじの雑感 |
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小田原城 09/07/01 12:47
肥氏が失脚し、駿河国に根拠を置いていた大森氏がこれを奪って、相模国・伊豆国方面に勢力を広げました。 明応4年、伊豆国を支配していた伊勢平氏流伊勢盛時が大森藤頼から奪い、旧構を大幅に拡張しました。 以来北条氏政、北条氏直父子の時代まで戦国大名北条氏の5代にわたる居城として、南関東の政治的中心地となりました。 1561年、上杉謙信が越後から侵攻。 鎌倉を陥落させた後、11万3千とも言われる大軍勢で小田原城を包... 新選組&幕末 ばんざい!! |
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二代目の悲哀(2)【武田勝頼】 09/06/28 23:53
まいには「親父、俺には俺のやり方があるので死んでもなお口出しするのは止めてくれ!」・・・そういう心境に至ったのでしょうか。「二代目の悲哀」というテーマの第2回目で武田勝頼を取り上げましたが、上杉景勝や北条氏政よりもこの言葉が良く似合っている、そんな気がします。なお、太田牛一の書いた「信長公記」には、武田家滅亡の様子が長い紙面を費やして記載されています。三木城での別所氏滅亡の場面と同様、牛一は勝頼に非常に同... おやじの雑感 |
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二代目の悲哀(1)【上杉景勝】 09/06/25 23:25
越後の上杉景勝(1556〜1623)、甲斐の武田勝頼(1546〜1582)、相模の北条氏政(1538〜1590)。景勝はかなり長命(享年69)ですが、ほぼ同時代に生きたと言っても良いこの3人の戦国大名に共通するのは・・・。そう、偉大な父親を持っているということです。現在放映されている大河ド... おやじの雑感 |
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戦国の中之条町 09/06/25 23:18
武士達が参戦し、多くの戦死者、重傷者を出し在地土豪 の盛衰を一変するほどのものであり、富沢一族の打撃は 大きかった。 天正六年上杉謙信が急逝すると謙信の養子景勝 (上田長尾)と同じく養子である景虎(北条氏政の子) とは家督を巡って相争い、いわゆる御館の乱が起こり 翌七年、景虎の自殺によって景勝側の勝利に終わった。 当時、上野の武士で景勝側についたのは尻高氏一人であった。この乱に乗じて北条氏は沼田に乱入... 山城めぐり |
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「天地人」第二十五話 09/06/25 21:24
忍だ、と言う初音。状況を飲み込めないでいるところへ、真田幸村が会いに来たと知らせが入ります。 幸村は、初音がここにいることはわかっている、と言い、引渡しを要求してきました。真田は北条とも通じるために、北条氏政に初音を差し出していたが、初音はそこから逃げ出してしまった。氏政が激怒しているので始末しなければならない・・・・。 「姉だろう!」表情を変えない幸村に、兼続の怒りが炸裂。「姉だろうがなんだろうが始末し... 桃子のテレビ感想 |
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「天地人」感想 その5 09/06/25 19:18
名の力をあなどってはいけない段階。幸村にまで脅しをかけ、こんな下品な勧誘しますかね…。物事には手順ってもんがあります。 雨の夜、弱りきった初音が屋敷に転がり込んできました。温かく介抱する兼続。初音は北条氏政の下に遣わされたものの、 逃げてきたという…。追っ手の真田の忍びが上杉の滞在する屋敷に 入り込んで、家老兼続めがけて手裏剣投げてきましたよ!大問題ですよ! さらに幸村が乗り込んできて初音の引渡しを要求... 帝國辺境伯のためいき。 |
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黒田孝高 09/06/24 16:22
589年)、家督を長政に譲って隠居の身となり、「如水軒」と号した(※これ以降は如水と記述する)。家督を譲った後も、如水は秀吉の側近として仕えた。天正18年(1590年)の小田原征伐では小田原城に入って北条氏政・北条氏直父子を説得し、無血開城させる功績を立てた。このとき、北条氏直から日光一文字の名刀を与えられている(国宝、福岡市博物館所蔵)。文禄元年(1592年)から秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に総大将... 戦国武将好漢列伝!! |
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