三河国

三河国についての解説記事(紹介記事)

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  • 美濃・尾張・三河遠征記 (31) 〜砥鹿神社〜
  •  続いては三河国一の宮の砥鹿神社(とがじんじゃ)です。 上の写真は駐車場にいちばん近い鳥居を何気なく撮ったのですが、これは空襲に耐えたものなんだそうです。 デコボコしている所が空襲の跡らしいです。 あとは表に回り境内へ… 鳥居以外は戦後の再建だそうだす。。 拝殿です。 昭和37年再建。 次はお城です。[三河国] ブログ村キーワード・・・続きを読む
  • 四十路直前日記? 四十路さん四十路さんのプロフィール
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三河国を含むブログ記事

碧さん
  • 天竹(てんじく)神社
  • した。1883年(明治16年)神仏分離により地蔵堂から分離され、天竹神社と改称されました。<綿伝来の伝説>日本後紀、類聚国史、大日本史などに、以下のような内容の記述があります。延暦18年(799年)、三河国幡豆郡(現在の矢作古川の河口付近)に1艘の小船が漂着しました。その船には1人の若者がいましたが、全く言葉が通じませんでした。唐人は「彼は崑崙人だ。」と言ったということです。この崑崙人は、布で背を覆い、...
  • 青い空がすき碧さんのプロフィール
ひでさん
Asami@戦国お城ライターさん
  • 坂井屋敷(さかいやしき)
  • に居住した土豪・坂井氏の屋敷跡です。初代・文助は、信長・信雄・秀吉に仕えて道中奉行を務め、二代目・利政は尾張藩主に仕えて船奉行となりました。三代目・利知も船奉行となりましたが、事故でお家断絶。その後は三河国(愛知県東部)へ移り、眼病の医者になったそうです。『山崎城』で紹介しました山崎神社の東に『坂井文助旧蹟』と書かれた石碑がありました。※詳細はこちら⇒坂井屋敷にほんブログ村↑いつも応援ありがとうございま...
  • 愛知のお城・戦国武将ゆかりの地を歩く!Asami@戦国お城ライターさんのプロフィール
しずかさん
  • 鳳来寺(2)徳川家光が建立した鳳来山東照宮
  • されました。日光東照宮・久能山東照宮とともに、日本三東照宮と称されています。この階段を上がって行きます。慶安元年(1648年)4月、日光東照宮へ参拝した折に改めて『東照社縁起』を読み、徳川家康の出生と三河国設楽郡の鳳来寺との縁に感銘を受けた江戸幕府3代将軍家光が、鳳来寺の本堂修復と薬師堂の再建を発願、それにあわせて新たに東照宮の創祀を計画し、阿部忠秋や太田資宗に命じて造営事業を進めたが、志半ばで薨じたた...
  • 大河ドラマに恋してしずかさんのプロフィール
しずかさん
  • 鳳来寺(1)虎松が少年時代を過ごした三河の寺
  • いたといいます。さらに氏真は、虎松を亡き者にするよう但馬に命じます。虎松は当時8歳。直虎は虎松を龍潭寺の塔頭・松岳院に入れますが、何としても虎松の身を守るために、南谿和尚と相談し、龍潭寺と繋がりのある三河国の鳳来寺に逃がすことにしました。ここで、虎松は8歳から14歳まで過ごしたといわれています。昨年の秋、数年ぶりに鳳来寺を訪ねました。ここから1425段の石階段が続きます。源頼朝が13歳の時に、鳳来寺に3...
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Smash!さん
  • 神君 徳川家康公を巡る旅 日光東照宮完結編。
  • 宮」と言えば 金箔で彩られた絢爛豪華な社殿と 深山幽谷のような深い森との コントラストが良い。さて、徳川家康公は亡くなる前 こんな遺言を遺したそうだ。遺体は駿河国の久能山に葬り江戸の増上寺で葬儀を行い三河国の大樹寺に位牌を納め一周忌が過ぎて後下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ関八州の鎮守になろう。日光山に小堂???家康を継いだ者たちが 「忖度」しすぎたことは 言うまでもない。東雲乃風さてさて、思えば昨年...
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四十路さん
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (最終回) 〜長篠城と馬場信房の墓〜
  • 殿を引き受け、勝頼が無事に退却したことを確認すると自ら織田軍に突撃して討死しました。 それを見た信長は、『馬場美濃守手前の働き、比類なし』と賞賛したとか。 これにて美濃・尾張・三河遠征記は終了です。[三河国] ブログ村キーワード...
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坂の上のヒゲおやじさん
  • おんな城主 直虎 第31話「虎松の首」 〜小野但馬守の井伊谷城乗っ取り〜
  • 件として、来る武田氏との戦に備えて軍勢を出すこと、そのうえ、井伊虎松(のちの井伊直政)を殺害するよう命じたといいます。これを事前に察知してか、直虎は虎松を龍潭寺の松岳院に逃し、南渓瑞聞和尚の協力を得て三河国の鳳来寺に逃しました。鳳来寺は徳川氏の領内なので、今川の手が及ぶことはありません。そして直虎は実母の祐椿尼とともに松岳院に残り、徳川軍の救援を待つことになります。  この徳政令をめぐる一連の出来事は、...
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ガウスさん
  • 旅の豆知識「古戦場」
  • は、その戦死者を供養するために始まったといわれる遠州大念仏や、三方ヶ原の戦いに関する資料が展示されていて興味深いです。(4)長篠の戦い関係古戦場<愛知県新城市> 長篠の戦いは、1575年(天正3)に、三河国長篠城(現在の愛知県新城市長篠)をめぐり、織田信長・徳川家康連合軍38,000人と武田勝頼軍15,000人との間で勃発した戦いで、織田・徳川連合軍が勝利し、敗北した武田軍は甚大な被害を受けました。決戦...
  • ガウスの旅のブログガウスさんのプロフィール
タケノコさん
  • 神明の花火大会
  • い雨の予報、7時半頃の開催可否の発表待ちです。神明の花火大会 は1989年に復活した花火大会で、古くは江戸時代の日本三大花火として「市川の花火(甲斐国)」と呼ばれ「水戸の花火(常陸国)」「吉田の花火(三河国)」ともに花火の故郷です。山梨県市川三郷町(もとは市川大門町で2005年に合併)、毎年8月7日(花火の日)に三郡橋下流笛吹川河畔で、2尺玉を含む2万発が打ち上げられます。マルゴー、斉木煙火本店のおひざ...
  • めざす、土浦全国花火競技大会タケノコさんのプロフィール

三河国を含むトラコミュ

徳川家康
  • 徳川家康
  • 安土桃山時代の武将。松平広忠の嫡男。1542年,三河国(愛知東部)岡崎城で生まれる。幼少時代を織田氏(尾張清洲)・今川氏(駿河)の人質として過ごしたが桶狭間合戦によ...
  • トラックバック数:381 TB参加メンバー数:62人カテゴリー:歴史ブログ
山本勘助
  • 山本勘助
  • 三河国宝飯郡牛久保(愛知県豊川市牛久保町)の生まれと伝わる。諸国を流浪し剣術や軍学を修めたとされる。当初は今川氏への仕官を希望していたが叶わず、天文12年(1543年...
  • トラックバック数:123 TB参加メンバー数:30人カテゴリー:歴史ブログ
長篠の戦い
  • 長篠の戦い
  • 天正3年(1575年)5月、三河国長篠城をめぐり、織田信長・徳川家康連合軍3万5000人と武田勝頼軍1万5000人との間で行われた戦い。徳川氏の信濃国方面の前線であった長篠城が武...
  • トラックバック数:14 TB参加メンバー数:5人カテゴリー:歴史ブログ

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